ヴィクトリアンな世界との邂逅 ① ~『ラピュタ』のふるさとウェールズ~

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ロンドン郊外のサリー州にある王立園芸協会(The laboratory at Wisley Garden, Royal Horticultural Society, Surrey, England

 

はじめに

ヴィクトリアンな森へようこそ。

 

本ブログでは、ヴィクトリア朝(1837年~1901年)に開花した文学、美術、音楽、建築様式、あるいはヴィクトリア朝を舞台にした映画やテレビドラマ、漫画、アニメ作品について、誕生秘話やトリビア的なエピソードを、時には真面目な時代背景などを織り交ぜながら、ご紹介していきたいと思います。いわば、ヴィクトリア朝に関することなら何でも好きに語っちゃえ、という雑木林のようなサイトです。

 

その前に、筆者がなぜこのブログを開設するに至ったかを、少しお話ししておきましょう。

 

マイ・ヴィクトリアン・こじらせヒストリー

第1期(小学校高学年~大学留学)

筆者が初めてヴィクトリア朝への興味を意識し始めたのは、10歳の頃に宮崎駿監督のアニメーション映画『天空の城ラピュタ』を見てからのことでした。より厳密にいえば「19世紀のウェールズ」です。“ウェールズ愛”が昂じて、実家の柱にマジックペンで落書きした「Wales」という文字が今でも残っています。いったいどんな酔狂な小学生だったのでしょうか(笑)

 

劇中、冒険家だったパズーのお父さんがラピュタを撮影した写真の日付が「1868.7」でしたから(著作権上、残念ながら証拠画像は掲載できませんが、興味のある方は一度、DVDなどでチェックしてみてください……笑)、19世紀後半に差しかかる頃、つまりヴィクトリア朝もだいぶ後期のあたりです。パズーが住んでいたスラッグ渓谷のモデルは、ジョン・フォード監督の『わが谷は緑なりき』(1941年、原題:How Green Was My Valley)に触発された南ウェールズ地方であることを、宮崎監督はC. W. ニコル氏との対談で明かしています(『TREE(ツリー)』アニメージュ文庫、徳間書店より)。

 

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ラピュタ』に登場するティディス要塞のモデルといわれるカーナーヴォン城(英語:Caernarfon Castleウェールズ語Castell Caernarfon, Gwynedd, Wales

ウェールズについて
古代はブリトンケルト人(Celts)が住み、大陸から来たローマ帝国アングロ・サクソン族による度重なる侵略を受けながら、独自の言語や文化を形成し、13世紀になってイングランドの統治下に入りました。スコットランド北アイルランドと同様、連合王国といいながらいまだ独立の気運が残っており、現在でも道路標識などは英語とウェールズ語の二カ国語で併記されています。

 

ディズニーのアニメーション映画『王様の剣』(1963年、原題:The Sword in the Stone)やオンラインゲームの「マビノギ」は、いずれも中世ウェールズの伝承である『アーサー王伝説』や『マビノギオン』(原題:Mabinogion)を基に作られたといえば、かなり身近に感じる人もいるのではないでしょうか。

 

天然の資源に恵まれたウェールズ地方は、かつて英国内でも有数の石炭の産地であり、大英帝国の繁栄を支えましたが、1990年代にサッチャー政権が石炭から石油へのエネルギー転換を強行し、次々と炭鉱が閉山されました。このあたりの炭鉱閉鎖にまつわる社会的背景は、イングランド北部ヨークシャーの炭鉱町で結成されたブラスバンドを通して、サッチャリズムを痛烈に風刺した映画『ブラス!』(1996年、原題:Brassed Off)によく表れています。ちなみに、邦題ではブラスバンドに由来するのかと思いきや、原題でいう「brassed off」とは「もううんざりだ」「怒っている」という英俗語。いかにも英国らしいウィットと皮肉が込められた、秀逸なタイトルですね。

 

現在のウェールズ各地では、産業革命時代にことごとく樹木が切り倒されて残った禿山やボタ山(捨石の集積場)が再び緑化していることもあり、面積の約20%が国立公園という豊かな自然を保護しながら、往年の歴史とウェールズ文化を伝える観光業が盛んです。

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今なお掘削の跡が残るスノードニア国立公園の山(Snowdonia National Park, Gwynedd, Wales

 

閑話休題。田舎の中学校が嫌で嫌でたまらず、当時の日本は、ネコもシャクシも海外に憧れた留学ブーム。高校卒業後、ロンドンの大学で1年間のファウンデーションコースを経て、3年間の学士課程へと進みました。ひとえに、ジブリオタクが英国留学までしてしまったという経緯なのですが、いや、本気で勉強したんですよ。したんですけど……正直、かなりしんどかった(汗)。学生時代に得た何かしらについては、別のブログで順次連載予定ですので、英国での生活や勉学に興味のある方に、少しでも参考になればと思います。

 

しかし大学卒業後、英国は相変わらず高い失業率に苦しんでおり、同世代の若いホームレスの人たちの姿が路上のそこかしこで見られました。かくいう日本も、就職氷河期の真っただ中。統計上最悪の就職率を記録した年に帰国したのと相まって、長らく一種の燃え尽き症候群に陥り、再び別の形でヴィクトリアンな世界に引き込まれるまでには、その後15年の歳月を待たなければなりませんでした。

(つづく)